江戸時代からマニキュアが!?マニキュアの豆知識

江戸時代からマニキュアが!?マニキュアの豆知識

意外と古いマニキュアの歴史

マニキュアの歴史(世界史)貴族のドレス&メイク術

2017/11/22

マニキュアの歴史は紀元前3000年よりも遡る古代エジプトで既に行われていた、と言われています。当時使われていたヘンナは今でも髪のカラリングやフェイクのタトゥーにも使用されている植物性の染料ですが、その花の汁を用いて爪を染めていたと言われています。当時の身分が高い人々のミイラには宗教的な身分制度の判別のためにさまざまな色が使われており、王や王妃には太陽神を表す朱色が使われており、それ以外の人々には薄い色が用いられていた、などという記録もあります。

それらがギリシャ・ローマの時代にヨーロッパに伝わり、身分の高い人々や貴族の人々の象徴としての、労働をしない「美しい手」を作るケアとして発展していったのだと考えられます。さて、中世のヨーロッパにおいて、女性のドレスやメイクに関して人々はどのように見ていったのでしょうか。当時のキリスト教文化において、華美であること、着飾ることは罪悪に近い捉えられ方をしていました。化粧は公には認められないことであり、女性は自然に近いことが美徳であるとされてきました。そのために爪の手入れもハチミツやオイルで磨くことで艶を出したり、唇も紅を差すのではなく、指で擦ることで赤味を強調したり、という涙ぐましい努力が続けられてきたのです。この時代には不自然に染めた爪は戒められたのだと考えられます。

しかし、ルネッサンス期に勃興した舞台芸術などではそのキャラクター性を表す演出の手法として爪を染めることもあったのだと言われています。また、その時代から長い間、貴族の女性たちは肌の白さを得るためにわざわざ貧血のような状態を作ったり、鉛を用いた白粉を用いるようになったり、とある時には命がけのような方法までが当たり前になっていくのです。女性のドレスも、コルセットが開発されて、ウエストをどんどん絞ってより一層細さを演出することが美しいと言われる時代がやってくるのです。自然であるべき女性の美が、追及されるあまりに不健康になっていく、という皮肉な歴史がそこにありました。

-意外と古いマニキュアの歴史